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今はまだ次の夢を探している

プロサッカー選手からファッションの世界へ、南米がつないだ2つの道

後藤 良太(ごとう りょうた)
小学校時代からプロサッカー選手を目指しサッカー一筋に突き進む。大学を中退し18歳で単身ブラジルに渡り、アルゼンチンではプロの下位リーグでプレー。2008年、縁あってブラジル事業部のあったH.P.F,に入社。現在はOSKLENブランドマネージャーとして年2回のブラジル出張に赴く。

─ 生まれ変わってもサッカー選手になりたい、そのくらい本気だった

今は仕事でブラジルに携わっていますが、元々はサッカーを通じて南米に関わっていたんですね?

入社前はサッカーしかしてませんでした。小4から25歳くらいまで本当にサッカー馬鹿で勉強もしないでサッカーだけ。高校1年の夏の合宿でブラジルとアルゼンチンに遠征に行って、そこで南米が好きになりました。大学は日本で唯一ブラジル学科があった奈良の天理大学に入ったんですがプロテストを受けるために半年で休学してすぐにブラジルに。ブラジルに1年半、アルゼンチンに2年半にいて、アルゼンチンではプロの下位リーグでプレーしていました。

南米が好きなんですが、その中でも特にリオ・デ・ジャネイロが好き。海もあるし、サッカーもサンパウロとは違う。人も大阪と東京くらい違う。リオの人のほうがおしゃべりで、サッカーももっと楽しんでやるようなスタイル。僕はブラジル音楽が好きなんですが、ボサノヴァやサンバはリオの音楽なので、そういう文化自体が好きでしたね。
人事部:サッカーを離れるにあたって葛藤もあったと思いますが。
後藤:今でも生まれ変ってもサッカー選手になりたいってくらいずっと本気でやっていた。だから、(サッカーを辞めたのは)人生で負けた、挫折したと今でも思ったりもします。ただ、アッシュ・ペー・フランス(以下H.P.F,)で働き始めたとき、別の道を選んだことで苦しい気持ちを抱えたことはなかった。サッカーではもう無理、と自分ではっきり分かっていたから。

─ 本音を言うと今でも販売は得意じゃない

次の道を考えようと思ったとき選択肢は音楽かファッションで、とりあえずやってみないと合うか合わないか分からない、だからやってみようと思って色々探していました。偶然そのときにラジオでJuana de Arcoのことを聞いたんです。でネットで探してみたらそこにOSKLENの名前もあって、それがH.P.F,を知ったきっかけ。正直ラジオで聞いた時点だと、南米であれば何でもよかった。でもブラジルにいた時から知っていたのでOSKLEN第一希望で面接を受けました。初めはHERCHCOVITCH;ALEXANDREに配属されて、次にWALLで働いていましたが、OSKLENがやりたいっていうのは、ずっと言い続けていました。OSKLENはやっぱりリオっぽい。ブラジルというよりもリオ。テイストやプリント、ラフな感じや素材感とかリオならでは。

サッカーの話になると思わず少年の顔に戻ってしまう後藤さん。

全く違う場所での新しい挑戦はどうでしたか?

後藤:サッカーとは違う道を選ぶことになりましたが、今仕事やりながらも、サッカーと一緒かなと思っています。店の皆はチームだし、売上げを取ることは試合に勝つこと、そんなふうに僕の頭の中では全部サッカーに繋がってしまいます。チーム作りもサッカーのポジションで考えたりする。よく売るスタッフはフォワード、業務向きな人はディフェンダー、とか。店長は全体のバランスを取る位置だと思うので今の自分はボランチなのかな。本当にサッカー馬鹿なんです(笑)。

本音を言うと販売は今でも得意じゃない、色んな人とフランクに話すのがどちらかというと苦手で接客業が向いているとは思わないので。だから上司にも「絶対に店長は無理です」と言い続けていたんですが、でもあるとき「後藤、店長やらない?」って言われて、やって損する経験ではないしマイナスにはならないと思ったので、即答でやりますと答えていました。全くやりたくはなかったんですけどね(笑)。

─ コレと決めたら一直線、「鉄砲玉」って呼ばれていた

店長になって約1年ですが、今は面白いですね。OSKLENはワンブランドの店なので世界観と一緒にブランドを見せることができる。社内でも1つのブランドだけでやっている店って少ないし、今はまだ売り上げも小さいですけど、でもブラジルではすごく大きなブランドで、どうやったらそれを日本で伝えられるか。ブランディングという部分ですね。店長というよりもビジネスが面白いですね。最近ビジネス本ばっかり読んでるんです、はまると止められないって言うか、もう本当にそうなっちゃうんです。俺は性格上ストイックで、いろんなことを両立できない。コレと決めたら一直線でサッカーやってたときも鉄砲玉と呼ばれてたりして。ビジネスもはまるとそんな風になってしまう。

ミサンガもやっぱりブラジリアン・カラー。

今は仕事を通じて、またブラジルと関わるようになりましたね。

以前、休暇を利用して上司のブラジル出張についていったことがありました。サッカーとは違う、ファッションのブラジルを見たことなかったので。もう全然違いました。サッカーで行ったときとは行く場所も違うし関わる人間も違う。日本の場合は中流階級が多いから普通の人もみんなファッションに関われるけれど、ブラジルだとファッションに関われる人というのはお金持ちの上流階級の人たちか、親がファッションに関わっている血筋の人たちだけ。ファッションと一般の人たちの生活は少し離れたもの。でもサッカーはどちらかというと貧しい人たちが這い上がるためで、そういう意味ですごくギャップは感じました。だから、ブラジルは自分にとって2面性があります。

定期的にブラジル出張に行くようになったのは2、3年前から。かれこれ5回くらい行ってると思う。現地でOSKLENのスタッフや規模感を見せてもらっているからには結果を出さなくちゃと思ってます。

─ 目標が見つかればそれになれる、だから今はそれを探している

自分で本気にならないとまずい。自分で店を経営してると考えていないと、細かいことまで気づけないし、焦りがないからやばいって思う。本当は会社ってものの中にいること自体がいつもちょっと不安なんです。甘いなって常に思ってる。会社が責任取ってくれるっていうのは甘い。プロサッカーでは自分でチームを探して代理人と交渉して、自分で結果出すかどうかで生き残れるかどうかが決まる。ずっと自分の給料は自分で稼いできた。だから今、会社に所属しているということだけで不安。ぬるくなっちゃってる。村松さん(H.P.F,代表の村松)は会社を背負ってる、そのマインドを持っていなくちゃいけない。それがビジネスってとこに繋がってるのかも。だから焦りですよね。常に一人で生きていける状態に持っていかないとっていう。仮に会社がなくなっても、自分でご飯を食べていける準備をしていかないと、という。そういうことを今訓練させてもらってると思ってる。だから売上げを落とすと焦るし怒る。いつも焦っています。店の皆にも自分が経営しているっていうぐらいの感覚でやれって言うんですけど。

やっぱり根底にサッカーがあるんですね。

サッカーからすべてを学びましたから。勝ち負けや、生き残ることの厳しさとか、親は放任主義で甘かったのでサッカーで色んなことを学びました。今思えば自分が仕事やってることは、全部そこから来ている。 サッカーのプロを辞めてから夢ってものが持てなくなって…明確な夢が。探しつつ、常に全力でやるってことですね。明確なものがまだ見えない。人が生きていく上でイメージするものになれるということは分かっているから、今までの経験で。だから目標が見つかればそれになれることも分かってる…。今はそれを探しています。

(取材・撮影:2012年8月3日)